少年は敗れ、病室で目を覚ます
そこで得たのは異端な力
病院を逃げ出し、町外れの草原で
一人の魔法使いに出会う
真 月 伝
昏い、とても暗い。
深く、深く、深淵に居るかのようにクライ。
光なんて当然無い。
目を開けているのか、閉じているのかさえ分からない。
――――――そんな場所。
そこに僕は一人浮いている。
なんて――――――孤独。
肉体から抜け出し意識だけが在る様だ。
まるで世界が死んだよう。
まるで全ての始まりのよう。
ここは何所だろう?
――――――ワカラナイ。
何故僕はこんな暗い所にいるんだろう?
――――――ワカラナイ。
自問自答を繰り返すが、全て分からない。
いや、答えは既に分かっている。
そう。分からない事を解っている。
なんて、矛盾なんだろう。
「・・・え・・・」
不意に、何かの音が聞こえた。
シン、と静まり返っている場所に響く音。
その音が気になり周りを見渡すが、何も変わっていない。
依然、全ては黒に塗り潰されている。
「・・・・えてる?」
そして、また聞こえる音。
今度はそれがはっきり分かった。
それは――――声だった。
とてもココロに響く、何処か聞きなれた声。
何かを尋ねるような声が気になって、
僕は位置を把握する為に耳をすませる。
「聞こえてる?」
「・・・うん」
姿かたちが無くても聞こえる声。
僕と似た、だけども凛とした感じ。
声からして僕と同じ子供だと分かった。
それも、僕の声とスゴク似ている。
「ああ、良かった。やっと僕の声が聞こえるんだね?」
「・・・うん・・・ねえ、君・・・・・・」
「ようこそ『 』へ」
「?――――『 』ってなに?」
僕が尋ねようとした所へ行き成り言われて、聞きたかった事が聞けなくなった。
でも、それ以上に気になった事が有る。
そう。この声が言った「 」だ。
「それは無であり、初めでも在る」
「?」
意味がさっぱり分からない。
と、いうか僕には全然理解できない。
理解すること事態、難しい言葉。
「やっぱり理解出来ない・・・か。それでも聞いて欲しい。ココは全ての始まり」
「はじ・・・まり?」
「そう。始まりでも在り、終わりでも在る」
「――――?」
ますますもって意味が分からない。
どういう事だろう。
始まりでも在って、終わりでも在るなんて、矛盾もいいところじゃないか。
「さらにココには、過去・現在・未来と全てが記されている」
「・・・あっ、それなら僕でも聞いた事が有るよ。確か『アカシックレコード』だよね」
それは父さんから聞いた事があった。
全ての事が記されているモノ。
過去・現在・未来が全て分かるモノ。
そして、そこに辿りつけた者は例外なく魔法使いと呼ばれていると。
実際父さんは、魔法使いを知っていたらしい。
「そう『アカシックレコード』だ。根源ともいわれている」
「そこに辿りついた・・・という事は――――」
更に僕が言葉を続けようとした所で、この場所に異変が起きた。
今まで暗闇だったのに、所々亀裂が入りだす。
その亀裂のせいで、罅割れた所から光が――――数多の光が射してくる。
一体何が起きたか分からなかった。
「ああ、もう限界のようだね」
「限界ってどういう事?」
「外の君が目覚めるのさ」
「え!?じゃあ――――」
そう言っている間にも、亀裂は止まない。
罅が多くなるに連れて、段々と意識が薄れていく。
もう、僕は限界だった。
「最後に何か僕に言う事は無いかい?」
有る。まだまだ分からない事だらけだ。
僕が理解出来たのはホンの一握りの事だけ。
まだ――――僕の身に何が起きるのか。
何が起こるのか。
根源に辿りついて僕はどうなるのか。
色々聞きたい事がいっぱいあった。
でも、僕はそれ以上に――――。
「き・・・みの・・・君の名前・・・は?」
「――――っ!・・・そう、君らしいね。最後の質問が僕の名前とは。でも、まあ分かってたけどね」
声は一瞬息を飲んだ後、さも可笑しそうに僕に言った。
なにかそう聞かれる事が、当然だと言わんばかりに。
本当にその事を尋ねられて嬉しかったかの様に。
「僕の名前は――――」
その瞬間、僕は意識が飛んだ。
それでも、最後の最後に彼の名前が聞こえた様な気がした。
だけど――――はっきりとは聞こえなかった。
「・・・ん。・・・こ・・・・・・こは?」
目を覚ますと、真っ白な部屋に居た。
見覚えが全くない、白い部屋。
そして、僕はベッドの上に寝ている。
「病院?」
消毒液の独特な匂いで、僕はここが病院だと分かった。
窓から差し込む光。
ゆらゆらと、優しくゆれるカーテン。
頬を撫でる微風。
隣のベッドには小さい女の子。
枕元には誰が持って来たか分からない、果物の詰め合わせ。
僕はゆっくりと体を起こす。
改めて病室を見回す。
すると――――変なものが視える事に気がついた。
それは――――。
壁やら人やらに在る、黒い奇妙な線。
その線は可笑しな事に、視るもの全てにあった。
なにも――――わからない。
何でこんな物が在るのか。
なんで僕にこんな物が視えるのか。
なにもかも、わからない。
だけど僕は、ソレを視ている間に、なぞりたくなって来た。
そして、身近にあったシーツの線を指でなぞろうとした時――――。
「はじめまして遠野志貴君、回復おめでとう」
お医者さんが看護婦さんを連れて、部屋に入って来た。
だから、僕は自然となぞる指を止める。
何故か、見られてはダメだと思ったから。
「君は何故、病院にいるか分かるかい?」
「――――」
しばらく考え、首を横に振る。
何故自分が病院に居るかさっぱり分からない。
それに、記憶が酷く曖昧だ。
「君は道を歩いている時、自動車の交通事故に巻き込まれたんだ。
胸にガラスの破片が刺さってね、とても助かるような傷じゃなかったんだよ」
一瞬何を言われたか、分からなかった。
じ・・・こ。
確かにお医者さんは事故と言った。
僕は胸を見る。
すると――――確かにそこには傷が有った。
どうやら事故と言うのは本当らしい。
・・・ならば、それさえも僕は忘れていると言う事だろう。
それにしても――――。
何故この医者はニコニコと、医者らしからぬ物騒な事を言うのだろう?
「それが医者の言う事ですか?」
僕はボソッと愚痴を洩らす。
その言葉が聞こえたのか、医者は一瞬顔をしかめたものの、直ぐにまたニコニコとした顔に戻った。
――――ひどく、気分が悪くなった。
「眠いです、眠ってもいいですか?」
「そうしたいなら、そうした方がいい。今は体を回復させるのに努めた方がいいからね」
何故こうも、このお医者さんは無理をして笑顔を作るのだろうか?
すごく、気持ち悪い。
黒い線も合間って気分がますます悪くなってきた。
「先生、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい、志貴君?」
「壁や先生にもある、この線みたいなものは何ですか?」
「・・・どうやら目の方に異常があるみたいだ、午後に検査するように。
それと脳の方にも異常があるかもしれん、芦家先生にも連絡を入れといてくれ」
お医者さんは僕の問いに答えない。
その代わり、小さな声で看護婦さんにそう言うと部屋を出て行った。
――――ズキンッ――――
何故かそれを見て、胸が痛んだ。
「それにしても、何だろうこれ?」
僕はこの線をなぞるとどうなるのか気になって、なぞってみようと思った。
近くにあった果物の中から、定番のメロンを取り出す。
リンゴにしようかと思ったが、こっちの方が線の数が多い上に、
高級だから。という事でメロンに決定した。
「――――――――」
恐る恐る線に触れるとズブリと、僕の指がメロンに埋まる。
びっくりして指を引き抜くと、メロンの果汁が指についていた。
「もったいない、もったいない。こんな高級な物を」
僕は、指をペロペロと舐めだす。
・・・・・・はっ!何て意地汚いマネをしているんだろう。
しかしそんなのは関係ない、僕は貧乏なのだ!
・・・なんか―――――むなしい。
「でもなんで、指が入ったんだろう?全部なぞるとどうなるのかな?」
僕は近くにあった果物ナイフで、線をなぞる。
するとメロンは、初めからそうであったかのように、
綺麗に縦に真っ二つとなった。
「わあ、凄い凄い!ねえ今のどうやったの?看護婦さん達にも見て貰おうよ」
隣の女の子は今のを見てたらしく、しきりにナースコールを押している。
ハッキリ言って―――――ウザイ。
それから多分百回ぐらいナースコールを押した辺りで、看護婦さんがやってきた。
百回も押されたら、いい迷惑だろう。
「どうしたの?」
「見て見てこのメロン。凄いキレイに切れてるでしょ♪隣の男の子がやったんだよ」
看護婦さんはメロンの切り口と僕の顔を交互に見ると、メロンを持って足早に部屋を出て行ってしまった。
これは―――――ドロボーだ。誰か警察に電話して〜!
・・・・・・う〜む、何か今日は変な発想が出てくる、後遺症かな?
「看護婦さん、どうしちゃったのかな?」
「みんなで分けて食べるんじゃない?」
「いいな〜、私も食べたいな〜」
「僕もだよ・・・それにあのメロン僕のだし」
「「・・・・・・ハァ」」
二人でメロンの行く末を考える。
―――――ああ、僕のメロン・・・。
それからしばらくして、僕はお医者さんに呼ばれた。
「志貴くん、君はどうやってメロンを、あんなにキレイに切ったのかね?」
医者はメロンを切った理由ではなく、その方法をしつこく聞いてくる。
何がそんなに不思議なのか、まるで分からない。
こんなにいっぱい、切れやすい線があるのに。
ただそれを、なぞればいいだけなのに。
「え?・・・先生に話した線を、なぞっただけですけど」
「いいかね志貴君?そんな線など存在しないんだよ、本当の事を話してくれないかね?」
「本当ですってばっ!僕には線が視えるんです!嘘じゃありません!」
「・・・・・・わかった。この話は明日にしよう」
そういうとお医者さんは、僕の話を信用しないで、部屋を出て行った。
―――――ズキン、ズキン―――――
凄く、胸が押し潰されそうに苦しくなった。
酷く、胸が締め付けられる様に切なくなった。
その後受けた午後の検査は、全て異常なし。
それが終わって戻ってきた時には、僕の病室は個室に移されていた。
――――――そして、この日から二週間、僕にとって地獄のような日々が始まる。
誰も僕の話を信じてくれない。
誰も僕の訴えを聞こうともしてくれない。
誰も僕に会いに来てくれない。
誰も見向きもしてくれない。
僕を見る目が、実験台のモルモットを見るかの様。
もう僕は、泣き出しそうになっていた。
――――――怖くて。辛くて。寂しくて。切なくて。
なぜか自分にしか見えない線。
この二週間の間、それがなにか、子供の自分にも薄々わかってきた。
あの落書きみたいな線をなぞると、なんであろうがキレイに切れる。
力なんていらない。必要ない。
紙をハサミで切るみたいに、いとも簡単に切る事ができる。
ベッドも。イスも。机も。壁も。床も。
――――ためしたことはないけど、きっとにんげんも――――
アレはきっと、ツギハギなんだ。
手術をして傷口を縫ったあとのところみたいに、とても脆くなっているところだと思う。
だって、そうでもなければ子供の力で壁や床を切れるわけがない。
――――ああ、知らなかった。
セカイはこんなにもツギハギだらけで、壊れやすいモノだったなんて。
そんなセカイでみんな暮らしていたなんて。
イマニモセカイハクズレソウナノニ。
ガラガラ、ガラガラ、と。
そう思うと、とても怖くなった。
怖くて、恐くて、コワくて、歩けもしない。
世界で僕が一人きりにでもなったみたい。
だからだろうか。
ずっと僕だけが、このツギハギだらけの世界で生きている。
一人、独りで孤独に。
もう・・・限界だった。
病室にはいたくない。
ラクガキだらけの所にいたくない。
だからここから逃げ出して、誰もいない遠い場所に行くことにした。
僕は嫌になり、病院を抜け出した。
誰もいない遠い場所へと、僕は走り出す。
ラグガキの無い所へ。
――――だけど、そんな事は無駄だった。
ラクガキの無い所なんて何処にも無い。
空にも。地面にも。目の前の空間にも。見るもの全てに。
何処へ行っても、ラクガキは常に有る。
それでも僕は、一生懸命走る。
必死に。必死に。ひたすら遠い所へ向けて走り続ける。
――――けれど胸の傷が痛みだし、走る事が出来なくなった。
だから、全然遠くになんて行けない。行けやしない。
あんなに一生懸命走ったのに、気がつけば僕は町の外れにある草原にいた。
「・・・ごほっ」
胸が痛くて。すごく悲しくて。すごく辛くて。すごく寂しくて。
僕は地面にしゃがみこんで、咳き込んだ。
何回も何回も。のどが痛くなっても。
「ごほっ、ごほっごほっ」
すごく苦しくなり、僕は助けを求めようとしたが、周りには誰もいない。
誰も居るはずが無い。ココは町外れだから。
草むらの海の中、風だけが優しく吹いている。
僕はこのまま、この緑色をした海に、溶けて消えてしまいそうだった。
風に連れ去ってもらいたかった。そうすれば、どんなに楽な事だろう。
蹲って、死を考えていると、一際強い風が吹きだす。
草たちが一斉に揺らぐ。
「君、そんなとこでしゃがんでると危ないわよ」
「えっ?」
ふいに、後ろから女の人の声が聞こえて僕は振り返った。
そこに居たのは、真っ白な半そでのTシャツにジーパン。
燃えるような赤い髪が印象的な女の人が、いつの間にか立っていた。
「『えっ?』じゃないわよ。君はただえさえ小さいんだから、草むらの中でうずくまってると見えないのよね、気をつけなさい。
あやうく私に蹴り飛ばされる所だったわよ」
「ご、ごめんなさい」
「ま、ここで会ったのも何かの縁だし、少し話し相手になってくれない?私は蒼崎青子っていうんだけど、君は?」
まるで、ずっと知り合いだった友達のような気軽さで、
僕に手を差し伸べてきた。
「僕ですか・・・?僕の名前は、遠野志貴です」
そう言って女の人の手を握る。
その手は冷たかったんだけど、なぜか温かく感じた。
女の人とのおしゃべりは、とても楽しかった。
この人は、僕を子ども扱いせず、一人の友達として扱ってくれる。
僕は色々な事を話した。
僕の家の事。
歴史のある古い家柄で、とても礼儀作法にうるさくってよく叱られた事。
秋葉という妹がいて、四季という僕と同じ名前の兄がいる事。
家の庭で、いつもみんなと一緒に遊んだ事。
「ああ、もうこんな時間。悪いわね志貴私ちょっと用事があるから、お話はここまでにしましょう」
女の人は立ち去って行く。
また一人になるのかと思うと、とても怖くなった。
「じゃあまた明日、ここで待ってるからね。君も病室に戻って、ちゃんと医者の言いつけを守るんだぞ」
「えっ?」
女の人は、まるでそれが当たり前のように去って行った。
また明日、今日みたいな話ができる。
その事が、僕にとって嬉しかった。
あの人がいれば、もう僕は一人じゃない。
そうして、その日から野原に行くのが日課になった。
女の人は青子って呼ぶと怒る。
自分の名前が嫌いなんだそうだ。
だから僕は『アオアオ』と呼んだ、そうしたら問答無用で殴られた。もの凄く痛かった。
次に『青姉ちゃん』と呼んだら、息を荒くして悶え始めた。
すごく不気味で怖かった・・・というよりヤバかった。
もうこの呼び方はやめよう、女の人は残念そうだったが・・・。僕の身がもちそうに無い。
考えたあげく、なんとなく態度が偉そうだったので『先生』と呼ぶことにした。
先生は他の人たちと違って、僕の話をちゃんと聞いてくれて、まじめに答えてくれる。
あんなに気になった線の事も、先生と話していると、あまり気にはならない。
だけど、何の線なのか知りたくて、今日は思い切ってこの線の事を聞いてみた。
「ねえ先生?僕、変な線が見えるんだ」
「どんなの?」
「口で言ってもわかんないと思うから、ちょっと見てて」
病室に置いてあった果物ナイフを使って、近くにある石を拾って切る。
途端、石は綺麗に半分に切断された。
「どう先生?何か・・・」
「志貴――――っ!」
ぱん、と両手で頬をたたかれた。
頬がジンジンして、とても痛い。
「君は今、とても軽率な事をしたわ」
先生はすごく真剣な目をして見つめてくる。
先生の顔を見て、今した事が、とても悪いことだったんだって思う。
そう思うと、とても・・・とても、悲しくなった。
「ごめ・・・んな・・・さい」
「志貴・・・」
気がつくと、僕はいつの間にか泣いていた。
そして次には、ふわり、とした感覚。
「誤る必要はないわ、確かに志貴は怒られるようなことをしたけど、それは決して志貴が悪いってわけじゃないんだから」
先生はしゃがみこんで、僕を抱きしめる。
母さんの様な感じがした。
「でもね、志貴。今誰かが君を叱っておかないと、きっと取り返しのつかない事になる。だから私は謝らない。
そのかわり、志貴は私のこと嫌らってもいいわ」
「ううん。先生のこと、嫌ったりはしないよ」
「そう、本当によかった。私が君に出会ったのは、一つの縁みたい」
そうして先生は、僕の見ている線の事について、聞いてきた。
この目に見えている線の事を話すと、先生はいっそう強く、僕を抱きしめる。
「志貴、君が見ているものは本来、視えてはいけないものよ。『モノ』にはね、壊れやすい箇所というものが、必ずあるの。
いつか壊れる私たちは、壊れるがゆえに完全じゃない」
「壊れやすい・・・・・箇所」
「ええ、そうよ君の目はそういった『モノ』の末路・・・言い代えれば未来を、視てしまっているんでしょう」
「・・・未来を・・・みてるの?」
「そうよ、死が視えてしまっている。それ以上の事は知らなくていい」
「先生。良く分からないよ」
「ええ、わかっちゃダメよ。志貴に理解するのは早すぎるから。
ただ一つだけ知っておいて欲しいのは、決してその線をいたずらに切ってはいけないという事。
君の目は『モノ』の命を軽くしすぎてしまうから」
「うん。先生が言うならしない。それになんだか胸が痛いんだ。ごめんね先生。もう二度とあんなことはしないから」
「よかった。志貴、今の気持ちを絶対忘れないで。そうしていれば、君は必ず幸せになれるんだから」
そうして先生は僕から離れる。
その瞬間、少し寂しかった。
「でも先生。この落書きが見えていると不安なんだ。
だって、この線を引けばそこが切れちゃうんでしょ?
なら、僕のまわりはいつバラバラになってもおかしくないじゃないか」
「そう、わかった。その問題は私がなんとかするわ。どうやらそれが、私がここに来た理由のようだし」
はぁ、とため息をついてから、先生はニコリと笑う。
その笑顔を綺麗だと、僕は思った。
「明日は君に、とっておきのプレゼントをあげるわ。私が君のその眼を治してあげるわ」
「本当?」
「ええ、本当よ。さてと、それには色々準備が要るから今日はここまでね。ちゃんと病院でおとなしくしてるのよ。じゃあ、また明日ね、志貴」
「うん、また明日。じゃあね先生」
次の日、いつもと違って夕方に会う事になっていた。
ちょうど先生と出会ってから七日目の日。
夕日に照らされた黄金色の野原で、先生は大きなトランクを片手にさげてやってきた。
「はい。これをかけていれば、妙な線は見えなくなるわよ」
先生がくれたものは、黒ぶちのメガネ。
何の変哲も無い、ただのメガネだった。
「僕、目は悪くないよ」
「いいからかけなさい。別に度は入ってないんだから」
先生は強引に、メガネを僕にかけさせる。
途端――――。
「うわぁ凄い!、すごいよ先生!線がちっとも見えない!」
「あったりまえでしょ。わざわざ姉貴の魔眼殺しを奪ってまで作った、蒼崎青子渾身の逸品なんだから。
粗末に扱ったらただじゃすまさないからね、志貴」
「うん、大事にする!線が消えて、凄いよ!魔法みたいだ!」
「それも当然。私は魔法使いだもの」
先生は笑って、トランクを地面に置く。
僕ははしゃいでいて、この時の言葉を聞き逃していた。
先生が――――魔法使い、だという事を。
「でもね志貴、その線は消えたわけじゃないわ。ただ見えなくしているだけ。
そのメガネを外せば、線はまた見えてしまう」
「そ、そうなの?」
「ええ、そればっかりは治しようがないわ。君のその目は君の者。なんとか折り合いをつけて生きていくしかないの」
「・・・やだ。こんな恐い目、いらない。先生との約束が守れなくなる」
「ああ、もう二度と線を引かないっていうヤツ?あんな約束、気軽に破っていいわよ」
「そうなの?だって、すごくいけない事なんでしょ?」
「ええ、いけない事ね。けどそれは君個人の力なのよ。だからそれを使おうとするのも君の自由なの。
君以外の他の誰も、志貴を責める事はできないわ。君は個人が保有する能力の中でも、酷く特異な能力を持ってしまった。
けど、それが君に有るという事は、何かしらの意味があるということなの。神様はなんの意味もなく力を分けない。
だから、志貴の一部であるソレを否定するわけにはいかない」
先生はしゃがんで、僕の目線に合わせた。
僕もジッと先生の瞳を見る。
「でもね、だからこそ忘れないで。志貴、君はとてもまっすぐな心をしている。
今の君がある限り、その目は決して間違った結果は生まないでしょう。
聖人になれ、なんて言わない。君が正しいと思う大人になればいい。
いけないって言う事を、素直に受けとめられて、ごめんなさいって言える君なら、十年後にはきっと素敵な男の子になっているわ」
そう言って、先生は立ち上がると、トランクに手を伸ばす。
僕は、お別れが近いんだなと思った。
そう思うと、悲しくなってきた。
「あ、でも線を見たくないなら、メガネを外しちゃダメだからね。特別な力は特別な力を呼ぶものなの。
どうしても自分の手には負えないと、志貴本人が判断した上で、やっぱり志貴本人がよく考えて力を行使しなさい。
その力自体は悪いものじゃない。
結果をいいものにするか、悪いものにするかは、あくまで志貴、君の判断次第なんだから」
トランクが持ち上がる。
先生は何も言わないけれど、
僕は、先生とお別れになるんだと、もうわかってしまった。
「無理だよ、先生。僕だけじゃわからない。先生に会うまで恐くてたまらなかったんだ。
けど先生がいてくれたから、僕は僕に戻れたんじゃないか。先生がいなくちゃダメなんだ。もう一人は嫌なんだよ」
「志貴、心にもない事はいわないこと。
自分も騙せない嘘は、聞いている方を不快にさせるわ」
その言葉は、僕の言葉に深く突き刺さる。
――――ああ、何て事を僕は言ったんだろう。
「それじゃあ、お別れね。志貴、どんな人間だって人生は落とし穴だらけなのよ。
君は人よりそれを、何とか出来る力があるんだから、もっとシャンとしなさい」
とても悲しかった。
無意識に涙が頬を伝う。
けれど、僕は先生の友達だから、シャンとして見送る事にした。
「うん。さよなら、先生」
「よし、上出来よ志貴。その意気でいつまでも元気でいなさい。いい?ピンチの時はまず落着いて、その後によく考えること。
大丈夫、君なら一人でもちゃんとやっていけるから」
先生は嬉しそうに笑う。
僕もそれに合わせて、無理矢理笑顔を作る。
「最後に。大切なものは、絶対守らないといけないからね。
大切なものを失いそうな時、その目でそれが防げるなら迷わず使いなさい。
私は、きっとその目はそのために、あるんだと思うわ。
私から言えるのはこれくらい。じゃあね、志貴。縁があったらまた会いましょう」
ざあ、と草原に風が吹きだす。
草むらが一斉に揺らぐ。
その後先生の姿はもう、どこにもなかった。
「ばいばい、先生」
残ったものは、たくさんの言葉と、この不思議なメガネだけ。
たった七日だけの時間だったけれど、先生は何より大切な事を教えてくれた。
誰よりも深く、深く。
ふと、気づいた。
ああ、なんて僕はバカなんだろう。
僕はさよならばっかりで、ありがとうの一言もあの人に伝えていなかった。
「また、会えますよね・・・」
僕の言葉は誰もいない草原に吸い込まれて行った。
いつか見えるその日まで。
この伝えたい気持ちは大切にとって置こう。
ちゃんと言える日が来るまで。
僕の中に大切に保管していよう。
あの人に精一杯の感謝の気持ちを伝えれるように。
そして――――――僕は空を見上げる。
既に日は暮れて、見上げた空には。
たくさんの星と、とても大きくて丸い月。
真円を描いている、どこまでも蒼い、蒼い月が頭上にある。
この日の出来事は僕にとって、決して忘れないだろう。
決して忘れる事が出来ないだろう。
そして願わくば、僕が大きくなった時。
この日見た、蒼く大きい満月のような――――――。
僕の退院は、それからすぐだった。
退院した後、僕は遠野の家ではなく、親戚の家に預けられる事になる。
だけど・・・だけど大丈夫。
遠野志貴はちゃんとやっていける。
先生のお墨付きだ。
新しい生活を、新しい家族と過ごす。
――――――蒼い、蒼い硝子のような月の下。
少年は魔法使いに出会い、生きる道を見つけた。
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